僕と済州島の物語

2002年に済州島でホームステイ、 2005年に済州島に留学、2013年に済州島で国際結婚、2015年に済州島で長男誕生。 そんな僕と済州島の物語です。

済州島留学物語 第4話【春3】

 2005年。その年は日韓国交正常化40周年を記念して「日韓友情年」とされた年だった。2002年に日韓ワールドカップ共催があり、日本国内において韓国に対する関心が高まると、それはそのまま冬ソナブームを始めとする韓流ブームにつながった。

 他方で、韓国内には反日感情があるということは知っていた。そのため、いくら友好ムードであろうとも、言動には気をつけなければいけないと心得ていた。

 もしかしたらそこには、前の部屋に住んでいるヨンジュンという学生の影響があったのかもしれない。彼のように「日本は嫌いです」と正直に言ってくる学生に対して、僕は何ができるだろう。さらに僕は、人一倍に周囲の視線を気にしてしまう性質だったので、韓国人の学生たちが、日本人である僕をどう見ているだろうかと常に怯えていた。

 

 タクヤとピアスは案の定、仲良くなった。タクヤは、韓国語のタメ口もうまく使いこなし、音楽を語り、時おり飲みにも行っているようだった。一定の距離を保ちながら、平和な人間関係を維持している僕とは違う。

 ナオはそのルックスで男子学生から大人気で、アイドル並みにもてはやされているようだった。また、英語や韓国語を駆使しながら、誰とでも分け隔てなく積極的にコミュニケーションをとり、彼女の周りにはいつも誰かがいた。

 日本語学科の学生たちとの関係でも、僕はそんな2人との違いに苦しんだ。

 国際課のウニョンさんの紹介で、タクヤとナオと僕の3人は、日本語学科の学生室に遊びに行ったことがある。

 紹介してもらった学生たちはまだ1年生で、日本には行ったこともないし、日本語もそれほど話せないという学生がほとんどだった。そんなごく普通の韓国の学生なのに、僕も知らないような日本の芸能事情などにも精通していた。一緒に盛り上がるタクヤとナオとは正反対に、自国にも無知な僕は、「ユウゴさんってほんとに日本人?」と言われる始末だった。

 彼女たちからしても、無口で無知な日本人よりも、夢見る熱きロッカーのタクヤや、アイドル並みに人気のナオのほうが当然魅力的なのだ。サイワールドという当時流行っていたSNS上でも彼らは盛り上がり、僕はどこか蚊帳の外だった。

 そんな時、社会学科の学生記者から一人の学生を紹介してもらった。

 その日、午前中の社会学科の授業を終えて図書館に向かおうとする僕に、後ろから学生記者が声をかけてきた。隣には初めて見かける小柄な女子学生が立っていた。髪はパーマのかかった茶髪で、デニムスカートを履いていた。

「この子、わたしの高校の後輩で、観光経営学科の1年生なんです。日本に留学したくて、今、日本語勉強してるんです」

 そう言って隣の女子学生を小突くと、

「はじめまして。キム・ミソです。今度、日本語教えてください。わたしは日本語学科じゃないので、日本人の友だちが誰もいないんです」

 高音のせいか彼女の話す日本語には幼い子どものようなあどけなさがあり、それが彼女の少々派手目な外見とは対照的だった。

「よろしくお願いします」

 視線を感じ、僕は避けるように目をそらした。

「ねえ、ユウゴさん。このあと、予定なかったら3人でお昼ご飯を食べませんか?」

 特に予定はなかった。だけど、怖かった。学生記者の誘いに僕はためらってから答えた。

「……実はこのあと、約束があるんです」

「残念ですね。じゃあ、また今度ミソに連絡してあげてください」

 そして僕は電話番号とメールアドレスの書かれた連絡先をもらった。

 日本に留学したい。日本語を教えてほしい。日本人の友だちがいない。そんな純粋な気持ちなのだろうが、彼女のその視線に妙に胸が高鳴った。一瞬、彼女と図書館や学生会館で日本語と韓国語を教え合うイメージが浮かんだが、それはすぐに消えた。きっと彼女も僕と話したら幻滅するに違いないからだ。だって僕は無知で無口な日本人なのだから。しかも臆病者ときている。日本人の友だちを作りたいなら、タクヤやナオと仲良くなったほうが彼女のためになるだろうから……。

 

 そんな具合に僕は、同じ日本からの交換留学生でありながら、SNS上でも次々と友人を増やしているタクヤやナオと比較して自己嫌悪になり、憂鬱になった。そしてそんな憂鬱は、僕を1人きりになれる図書館に向かわせた。韓国人の学生と会話をしたり、交流したりするほうがきっと意義があることだとはわかってはいたものの、韓国語力に自信がなく、どうしても避けていた。もしかしたら韓国語力というのはただの言い訳で、ともすれば人を避けてしまう内気な自分の性質から目を背けたかっただけかもしれないが。だけどこのままじゃいけない。僕も僕なりに焦っていた。

「ユウゴ、今度の土曜日ってなんか約束ある?」

 学生会館でたまたますれ違ったサチコが訊いてきた。

「時間あるよ。週末は図書館くらいしか行くところないし」

 人見知りで出不精の僕がサチコの誘いに迷わず応じたのも、そんな焦りからだった。

 サチコから誘われたのは、「4・3事件」の文化芸術祭だった。

 18時過ぎに僕らは会場に着いた。タクヤやナオにも声はかけたようだが、2人とも韓国人の友だちと約束があったらしい。

 4・3事件。それは留学前に本で読んだことのある事件だった。

 韓国現代史最大のタブーとされ、その真相も謎に包まれ、語ることさえ拒まれていた悲劇。日本の植民地支配から解放されて間もない1948年4月の出来事だ。祖国の南北分断に抗議した島民が武力鎮圧され、当時、約28万人の人口のうち、2万5千人から3万人の死者を出す大惨事となった。済州島全体が戦場と化したのだ。

 その「4・3事件」の悲劇を忘れまいと、毎年開催されているのがこの文化芸術祭だ。何人かの歌手がバラードの曲を熱唱し、市長、市議会議長、来賓のあいさつと続いた。周囲を見回すと、子どもからお年寄りまで幅広くいる。

 僕とサチコは椅子に腰かけ、言葉なくただぼんやりと進行を眺めていた。いつもはおしゃべりなサチコもなんとなく物静かだ。

「せっかく市内に出たし、なんか食べて帰ろうか?」

 会が終わるとサチコが切り出した。たしかに、市内に出ることなんて滅多になかった。 漢拏山ハルラサンの麓にある大学から、市の中心部まではバスで20分程度の距離だったが、僕にはまだ友だちと呼べるほど親しい韓国人の学生もいなかったし、誘われることもなかったから。

「なんかしんみりするね」

「でも、盛り上がってたし、あの悲劇はずっと語り継がれていくんだろうね」

 そう言ってから、「盛り上がってた」という表現が少し不謹慎だったような気がしてきた。

 僕らは市役所前の繁華街にある店に入った。土曜日の夜8時過ぎだったこともあって、かなり混雑していた。

「ユウゴは慣れた? もう1ヵ月経ったじゃん?」

「なかなか慣れないね。韓国語も伸びないし、友だちもできないし」

「シャイだしね?」

「そう。済州島の海のように」

 僕らはビールを一杯ずつ頼んだ。

「サチコは済州島で自分のやりたいこと探すって言ってたよね?」

「そうね。やりたいこともそうだし、そもそも自分自身を見つめ直したいというか」

 日本語での会話は店内の騒音に溶け込んでいて、僕も周囲を気にせず落ち着いていられた。

「あたしさ、高校卒業して1回就職したって言ったじゃん? で、そのあとすぐお母さんが病気で亡くなったんだけど、その時まで自分に韓国人の血が流れてるなんてまったく知らなかったのよ」

「そんなことってあるんだ」

「身の上話になっちゃうけど……」

 そう言ってサチコは語り始めた。こんな内容だ。

 

 サチコの母親は戦後間もない1946年に済州島の小さな村で生まれた。貧しい家庭で生活は苦しく、親戚の多くは日本で仕事をし、生計を立てていた。そんな時、1948年に4・3事件が勃発する。4・3事件は島の雰囲気を一変させた。島中が焦土化し、その中でサチコの母親の両親は犠牲になった。サチコの母親は2歳にして両親を失ったのだ。一緒に暮らしていたサチコの母親の祖父母は、自分たちだけで幼い子どもを育てる自信がなく、日本で生活基盤を持っていた親戚夫婦にまだ小さかったサチコの母親を預けた。そしてサチコの母親はそのまま日本で育ち、同じ済州島にルーツを持つ在日韓国人と結婚した。

 母親を育ててくれた親戚夫婦は、母親が結婚するころに、相次いで亡くなったが、家庭内では常に日本語を使用していたため、母親は韓国語を話すことができなかった。結婚相手の父親のほうも戦前から日本に来ていた在日2世で日本に帰化もしていたため、韓国語は話せず、もう韓国に親戚もいなかった。そのため、サチコが生まれたころには、家庭内にはほとんど韓国的なものはなく、サチコ自身も日本人だと思って育った。

 そうして就職して間もなく、母親が亡くなる。すると、親戚だと言う人々が突然やってきて、韓国の話をした。今となっては、なぜ母親が自分に韓国の話をしなかったのか知る由もない。同じ質問を父親にしたところ、そんな昔のことはどうでもいい。大切なのは、今、ここで生きていくことだろうと一蹴された。

 母親が亡くなった年は、ちょうど「冬ソナブーム」が始まったばかりで、テレビを見ると毎日のようにドラマが話題になる。そんな状況の中で、「おまえも韓国人だよ」と言われた。親戚から4・3事件の話を聞いた時はショックだった。だけど、あの事件がなかったら、きっと母親は済州島で育ち、結婚していただろう。そして自分も済州島で生まれたんだと思う。そう思い始めたら、自分がもし済州島で生まれ育っていたらどうなっていただろう、というのが気になり始めた。

 

「それを知るためには、やっぱりこの済州島に来るのが一番かなと思って。そのためには、語学力が必要で、就職して稼いだお金でソウルに飛んだのよ」

「なんだかドラマみたいだ」

 そんなことは考えたこともなかった。自分の生まれる前の出来事に思いを馳せ、違った人生を歩む自分を想像することなんて。

「そういうのってさ、考えてもしょうがない宿命みたいなもんかもしれないけどね」

「わかる気もするよ。そんな壮絶なヒストリーがあったんだから。でもそれをすぐに行動に移すってすごいよ」

「思い立ったら行動せずにはいられない質なの。せっかちだしさ。そこだけはしっかり韓国人の血を受け継いでるんだなーって思うな」

 サチコがそう言って笑った時、テーブルの上で携帯電話が振動した。自分のものかと思って確認したが、案の定、僕の携帯ではない。こんな時間に誰も僕を探したりはしない。サチコは電話に出ると、今、友だちと一緒だからあとでかけ直す、と流暢な韓国語で伝えた。

「韓国人の友だち?」

「うん。彼氏なんだけど」

「国際恋愛だ?」

「ソウルにいる時に知り合って。いい人なんだけど、しょっちゅう連絡くるのよ。『今、何してる?』『ご飯食べた?』って」

「愛されてる証拠だよ」

「でもさ、これって別に恋人同士じゃなくてもあるよ。友だち同士でもしょっちゅう。人間関係の距離が近いのよ、韓国って。それをウザイと思うか、ありがたいって思えるかで韓国との相性って決まるんだと思うな」

「韓国の血が流れてるサチコ的にはどうなの?」

「うーん。基本ありがたいけど、たまにウザイかな。だけど、それっていいことだよ。自分も相手に同じことが気兼ねなくできるから」

 そう言って、幸せそうに微笑んだ。きっと、サチコは韓国に来て正解だったんだと思う。きっと見つけられるはずだ、探していたものが。サチコのように、韓国に特別な思いと関係がある人間だったら、ここでのすべてに意味を見出して前向きに生きていけるに違いない。

 僕は、どうなんだろう。僕は韓国に縁もゆかりもない。それに、韓国でミュージシャンになりたいなんて夢もなければ、済州島のような観光地で働きたいなんて夢もない。それどころか、いまだに自分の居場所さえもうまく見つけられず、悶々としている。あのころと、何一つ変わっていなかった。

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