考え事をしていたせいか、思ったより早く頂上に到着した。
「ユウゴ! 男3人で写真撮ろうぜ!」
二日酔いなどどこ吹く風。タクヤは頂上に到着してすっかり元気になったようだ。
「ユウゴ、どうしてそんなに表情が暗いんだい?」
スンウォン兄さんが心配そうに言う。
「ユウゴは、もともとこうなんですよ。ブハハハッ」
僕も苦笑いをしながら、改めて辺りを見渡すと、そこからは僕の立つ
そんな憂いを振り払うようにタクヤとスンウォン兄さんの輪に入ろうとした時、ウニョンさん一行が頂上に到着した。
「ちょうど良かった。写真撮ってくれよ」
そして、ナオがカメラマンになり、僕らはスンウォン兄さんを真ん中にして肩を組んだ。
「いいですね。仲良し3人組って感じですよ」
「何、仲良く見えるって? よーし、掛け声は『ファイティング!』だ。せーの!」
スンウォン兄さんに従い、僕らは見えない何かと戦うように声をあげた。
「ファイティングで思い出したんですけど……」
シャッターを切るなり、ナオが言う。
「わたし、テコンドーやろうかなって思ってるんです」
「テコンドー!?」
皆、目を丸くした。小柄で人形のような容姿は、格闘技であるテコンドーとはほど遠いからだ。
「わたし、留学したら、一つだけ、苦手なものに挑戦しようと思ってたんです」
「でもテコンドーってかなり特殊だぜ。苦手とかそういう問題じゃ……」
「自分を守れるようになりたいんです。今まではずっと家族と一緒に暮らしてましたけど、こうして親元を離れてみて思ったんです。わたし、実はかなり運動オンチなんです。走るのも学年でいつも後ろだったし、運動神経がないんです」
「なるほどね。テコンドーだったら護身のためにもなるし。変な男が来ても安心ね」
「いいね。わたしは応援するよ!」サチコとウニョンさんが励ますと、
「ナオがテコンドーやるのかい? 天下無敵になるね」と、スンウォン兄さんもエールを送る。
「なんかナオっぽくないし、俺はしっくりこないけどなあ。まあ、本人がやる気ならなんとかなるだろ」
タクヤがそう軽く言うと、
「かかってこい!」とナオがポーズを取りタクヤは逃げていった。
時計を見るともう三時過ぎだった。
「いい景色でしょ? 日の出がきれいに見えるから日出峰って言うんだよ」
ウニョンさんは山頂の風になびく髪をかきあげながら言った。
改めて確認したところ標高は182メートルということだったので、実はそれほど高くはない。だけど、眼下に見える済州島の海と大地の光景は、僕に多くのことを語りかけてくるのだった。
城山日出峰を降り、車に乗り込んだ時には4時になっていた。
「これから済州市内に戻るけど、もう一カ所だけ行くよ」
ウニョンさんの声がどこか遠くから聞こえてくる。
ほどよい疲労感が全身を駆け巡っていた。湿った地下の洞窟を経て、今度は空に向かって岩山を登ったせいだろうか。車内は静かで、開け放った窓から入り込んだ風だけが、草原の匂いを伴って生き生きしていた。産まれたての赤ん坊のように無邪気で無垢な風だった。
――太古の済州の大地から出現した「
車の中で眠ってしまったせいか、なんだか朝靄の中を歩いているような気分だった。留学前に読んだ済州島の建国神話が頭の中をぼんやりと去来する。
その日、最後に僕らが向かったのは「
「見て。この3つの穴から三神人が出現したの」
囲いの中の窪みにたしかにそれは存在していた。
済州島はかつて
「知ってる? 済州島の神話だよ」
「俺、全然知らなかった。済州の神様がこの穴から誕生したのかー。ユウゴ知ってたか?」
「うん。聞いたことはあった」
「3人は狩りをして暮らしてたんだけど、ある日、海の向こうから、箱が流れてくるの」
「桃じゃなくて?」
「アホ。その箱の中に何が入っていたかわかる人?」
聖地を取り囲む木々の梢に風が舞う。まるで三神人が現れたように厳粛になる。
「3人の美しい王女ですよね」
「あと、家畜や五穀の種も」
観光業界志望のナオと済州島にルーツを持つサチコもこの建国神話を知っていた。
「そう。じゃあ、その箱はどこから来たと言われてるか知ってる?」
「これも聞いたことある。日本って言われてますよね?」
「へー、マジか!」タクヤは半ば興奮気味だ。
「正直、よくわからないよ。昔の神話だから。ただ、『高麗史』っていう朝鮮王朝時代の歴史書には、『日本国』から来たと書かれてるの。日本と韓国の歴史って複雑だから、それを否定する人もいるし、それを信じるのも信じないのも自由だと思う。でも、済州島と日本は、ずっとずっと昔からなんらかの交流があったんじゃないかな」
日本語でそう話したウニョンさんは、すぐ隣にいたスンウォン兄さんにも同じことを韓国語で伝えた。
「わたし、この神話を知って済州島のこと好きになったんです。親近感がわいたっていうか。それでいろいろ調べたら、観光地としても魅力的な島で、この島で韓国語勉強したいって思ったんです」
普段はおっとりしているナオだけど、テコンドーの件と言い、内に秘めたる熱意が伝わってくる。
サチコも。きっと、今は亡き母親と、その親族の運命に思いを馳せているに違いない。もしかしたら、この島で生まれ育っていたかもしれない自分自身の運命についても。
タクヤもきっと将来の……と思ったら、いつの間にか僕らの向かい側に回り、目を凝らしてその3つの穴を見つめていた。
「この穴から出てきたってことは、済州島の大地から生まれたってことですよね? 神話って言うと空から降臨してくるイメージのほうが強いのに不思議だなって思って。日本もそうですよ」
「そう。韓国のほかの地域でも見られないよ。陸地の檀君神話だってそう」
「それだけ昔の済州島の人は、この済州島の大地に愛着があったのかもしれないですね。だからこそ、この穴を自分たちの聖地とした……」
ナオのそんな指摘は的を射ていたように思う。
「でもさ、済州島には
タクヤはそう言って首をひねった。
いずれにせよ、昔の済州島の人々は、天ではなく済州島の大地に自分たちのルーツを見出したのだ。そのエピソードだけでも、僕は改めて済州島に魅せられた。いつか、たとえ1人きりであったとしても、この済州島の大地を旅してみたい。
僕らはそのまま済州市内でサムギョプサルをご馳走になり、半日旅行は終わった。自称酒飲みのウニョンさんは、「漢拏山」という済州島の焼酎瓶を手放さず、皆に勧めては自分も大量に飲んでいた。二日酔いのタクヤが本気で弱音を吐くほどだった。
「姉さん、もう無理っす」
あれほど二日酔いのタクヤを疎んじていたにも関わらず、「男のくせして、弱いなー」と、焼酎瓶を揺らすウニョンさんは悪魔のようだ。
もちろん、僕もサチコもナオも飲んではいたが、スンウォン兄さんのブレーキのおかげで無理なく楽しめた。スンウォン兄さんは、今日はドライバーなので飲んでいないだけかと思ったが、実際、本当に少ししか飲めないとのことだ。
「体質なんだよ。飲んでは吐いて、飲んでは吐いて、強くなるかと思ったけど変わらない。軍隊でも随分苦労したけど、もう無理するのはやめたよ」
「でも、それじゃ社会人になって苦労するって言ってるじゃない。それが通用するのは学生のうちだけよ」
「とまあ、いつもこんな感じなんだよ」
そう言って僕らに微笑むスンウォン兄さんを見ていると、きっとウニョンさんのすべてを受け入れてくれる懐の深い恋人なのだろうと思った。
そろそろ帰ろうかと思っていた時だった。呂律の回らなくなってきたウニョンさんが、
「みんな、ありがとう」
と日本語でささやき、そのままスンウォン兄さんの肩にもたれて眠ってしまった。