僕と済州島の物語

2002年に済州島でホームステイ、 2005年に済州島に留学、2013年に済州島で国際結婚、2015年に済州島で長男誕生。 そんな僕と済州島の物語です。

済州島留学物語 第18話【タイムカプセル④】

済州島徒歩1周4日目

南元ナムォン表善ピョソン:約12km)

 

 影響されすぎかな。そんなことを思いながら『レ・ミゼラブル』を購入した僕は、図書委員らしく本の世界にのめり込んだ。新発見だった。漫画とは違い自分のイメージで世界を構築できるし、いつ、どこにいてもその世界を旅することができる。特に、これまで自分となんら接点のなかった海外の古典作品は、怖気づく僕をその未知なる世界へと導いた。世界はそこまで恐怖ばかりではないのだと彼らは語っていた。放課後は図書室にもよく通うようになった。しかし、シャイな僕はカウンター業務を行う鈴木先生とはなかなか自然な会話ができずにいた。

 いつの間にか進路を考える時期がやってきた。僕の通っていた高校では、半数が就職、半数が専門学校か大学に進学した。僕は大学への進学を希望していたが、具体的な将来の目標はなかった。ただ漠然と、海外へ憧れていた。そこにはきっと、未知の世界へ怯えるちっぽけな自分の存在など忘れてしまうほどの何かがあるという期待があったのだ。興味があったのはフランスとドイツだった。その日はゲーテとユゴーの伝記を図書室の椅子に座って読んでいた。

「面白いでしょ?」そう言って声をかけてきたのは鈴木先生だ。

「はい。あの、先生の言っていた意味わかったんです。『レ・ミゼラブル』も読みました。ありがとうございます」

 僕は少し照れながら、お礼を述べた。

「それは良かった。まだ若いんだから、たくさん本を読んで、自分だけの道を切り開いていくんだよ」

 そう言って鈴木先生はまたカウンターに戻った。自分だけの道を切り開く。図書委員の最初の集まりで鈴木先生が語っていたことを思い出した。体育教師復帰の道を断たれ、病室のベッドで絶望に沈んでいた鈴木先生のもとに現れたもう一つの道。目の前に道が開けてきたと語っていたが、その道は、単に本を読んでいるうちに自然と開かれていったのだろうか。

 

 学年が変わり、本格的な受験勉強が始まった。高校受験に失敗していただけに、今度こそは、という思いがないわけではなかったが熱が入らなかった。いや、そもそもここに入学したのは僕の人生にとって失敗だったのだろうか。ここに来たからこそ得たもののほうが多い気がする。そんなことを考えると精を出して受験勉強に取り組むのが馬鹿らしくなり、本ばかり読んでいた。

 そんな僕が志望校を決める基準にしたのは、きれいな図書館と海外留学だ。もちろん、自分の学力で入学可能な、という大前提があるが。

 第1志望校に落ち、第2志望校に合格した。新設されたばかりの大学で、近代的できれいな図書館に一目惚れし、志望した大学だった。それに新設とはいえ、それなりに留学制度は整っていた。

 鈴木先生に報告した。

「ほお。それじゃ、本気で留学を目指してるんだね」

「はい。まだ具体的なことは考えてないですけど。ヨーロッパに行ってみたいです」

「ヨーロッパね。何か目的はあるのかい?」

「それは……やっぱり好きな小説の舞台となった世界を見てみたいからです。そこに行けばきっと自分のやりたいことが見えてくるんじゃないかなって思うんです。以前、先生のおっしゃっていたような道が開けてくるんじゃないかなって」

「道はね、最初からそこには存在しないんだよ。求めていくこと、そしてそこに使命を見出すこと。これが大切。僕は病室のベッドで空を眺めながら思ったよ。僕にしかできないこと、僕だからこそできることってなんだろうって。それを求めてたんだよね。そんな時に、いや、足が不自由になってしまった、そんな時だからこそ、道が開いていったんだ。そしてその道を歩んでいくのが自分の使命だと思ってる」

 使命……。それは不思議な響きを持って僕の胸に迫ってきた。僕にしかできないこと、僕だからこそできることってなんだろう。

 

 進路が決まると、気持ちは大学生活に向かっていた。高校生活に心残りはなかった。立花君はその後、ギター部の部長になり文化祭ではバンド演奏をし、校内の人気者になっていた。彼は僕とは違うのだ。ずっと遠くに行ってしまった。僕はほかに同学年の部員がいなかった美術部で名ばかりの部長となっていたが、そのうち出展のために描かなければならない義務感で描くようになってくると、描くことは気休めでさえなくなった。

 休日は家の近くの図書館に通った。文学コーナーをぎっしりと埋めた本のラベルを見ながらあることに気づいた。海外文学のコーナーにあるのはほとんどがヨーロッパやアメリカの文学なのだ。

 そのころニュースでは、間もなく開催される2002年日韓ワールドカップ共催や北朝鮮による拉致問題で朝鮮半島が何かと話題になっていたため、少し気になり朝鮮半島発の文学作品がないか探してみたが、見当たらなかった。僕はまたすぐ席に戻り、独学中のフランス語の学習教材をめくってみたが、集中できない。そういえば、ハングルってどんな言葉なんだろう。最近ニュースなどでよく目にする記号のイメージが思い浮かんだ。子どものころ、『世界のあいさつ』という本で「こんにちは」は「アンニョンハシムニカ」ということだけは知っていたが、そんな長たらしく噛んでしまいそうな言葉で本当にあいさつをしているのだろうか。それに、朝鮮半島はなぜ2つに分断されているんだろう。堰を切ったように疑問があふれ、気がついたらハングルの教材と朝鮮史の本を手に取っていた。

f:id:ash-kiseki:20210807155207j:plain