僕と済州島の物語

2002年に済州島でホームステイ、 2005年に済州島に留学、2013年に済州島で国際結婚、2015年に済州島で長男誕生。 そんな僕と済州島の物語です。

済州島留学物語 第19話【タイムカプセル⑤】

済州島徒歩1周5日目

表善ピョソン済州市役所前:約62km)

 

 朝のまぶしい光で目を覚ました。疲労を伴った身体は今日が昨日の続きであることを物語っていた。2005年8月13日午前7時。済州島徒歩旅行5日目。僕は表善のヨンジュンの家にいた。

「よく眠れましたか?」

 ヨンジュンがコーヒーを片手に部屋に入ってきた。焼けたパンの香ばしい匂いが僕の寝起きを刺激する。韓国焼酎のせいだろうか。2口ほどしか飲んでいないのに頭がずきずきした。それでも、「外交官になりたい」という夢を語ってくれた昨夜のヨンジュンの鋭い眼差しはまだ僕の中で息づいていた。

 済州島徒歩一周のリベンジ。前回とは反対回りで挑み、4日かけて再び表善にやってきた。あとは前回辿った道をこのまま逆回りで歩き続ければゴールだ。残りはあと約60㎞。これから2日かけて歩く計画だ。

「達成できるといいですね。一周も、韓国語の試験も」

 朝食をご馳走になり、再び旅路に出る僕に向かってヨンジュンは手を差し伸べた。

「ここまで来たんだからゆっくり歩いてでも一周は必ず達成します。試験はどうなるかわかりませんが、限界までは挑戦しようと思います」

「でもまさかまたここまで歩いてくるなんて本当に考えてもなかったです。応援してます」

 そうして固い握手を交わし、真夏の道に一歩を踏み出した。

 

 ――大学に入学した僕は第2外国語でハングルを受講した。勉強すればするほど、日本語と近い文法や単語に親近感を覚えた。ただの記号にすぎなかった文字は、生き物となった。大学2年の時には、本格的に留学の準備を始めた。ソウルにある大学と釜山にある大学の2か所が留学可能な大学だったが、釜山は方言が強いため、競争率は高いかもしれないがソウルの大学を目指した。

 悩んでもいた。大学に入学してまもなく父が失業したのだ。不景気の影響で再就職はなかなか難しく家計は悪化した。僕もバイトを始めた。もともと学費は貸与の奨学金を利用していたため、バイト代は自分の生活費に充てた。問題は留学中の生活費だ。留学先でバイトはできないため、1年間分の生活費をあらかじめ貯金しなければならない。はたしてそれが可能だろうか。両親は留学に反対していた。金銭的な援助ができないと。

 そして留学は断念した。やむをえなかった。経済的な理由のせいにしたが、本当は別の理由もあった。大学やバイトという新しい環境にいてもなお、変わらない自分自身へのいら立ちだ。それは生まれつきの厭世観を強くし、しょせん、留学に行っても何も変わりやしないだろうというあきらめになった。それなのにそこまで金銭的な負担をかけて行く必要があるだろうか――。

 

 朝からハイペースだった。身体は限界だったが、朝の涼しい時間帯に少しでも先へ進もうと足を前に出した。補修したシューズも僕と思いは同じようだ。ボロボロになりながらも、軽やかに大地を踏んでいる。しかしその日の熱さは朝から異常だった。灼熱の陽が、途切れ途切れの雲の隙間から肌を突き刺す。

 イヤホンをした。リュックに入れてきたのは、韓国で初めて買った韓国のロックバンドのCDアルバムだ。

 音量を上げる。

 うなるベースは僕の鼓動とリンクし、ドラムのリズムは僕の気分を高揚させ、ギターのメロディーは僕の抒情を奏で、ボーカルの叫びは僕の心を代弁していた。韓国でこうしてロックを聴くことになるなんて思いもしなかった。

 立花君を思い出す。どうして僕らの心は離れ離れになってしまったのだろうか。高校卒業後は連絡すらとっていなかった。なんとなく、僕のほうが避けていた。バンドで校内の人気者になった彼に、僕のような地味で根暗な人間が近づいたらいけないのだと思った。高校入学前、立花君の家のオーディオで出会い、あれほど好きになったCDもすべて封印してしまった。だけど、やっぱり、僕はこういうロックが好きだ。

 5日目の目的地である細花セファに到着したのは午後3時だった。予定よりもだいぶ早い。そう、前回の旅でウニョンさんの祖父母の家に1泊したあの町だ。今回の旅は前回のような雨との戦いでなく、陽射しと暑さとの戦いだった。教訓は得ている。町が見えるたびに水分補給をしながら体力をキープし、陽射し対策に帽子もかぶっていた。細花に着くなり、町のパン屋のベンチでスポーツ飲料を飲みながら休憩していると、パン屋のおばさんが声をかけてきた。

「暑いだろう? これでも食べな」

「え、いくらですか?」

「サービスだよ」

 そう言って差し出してきたのは冷たいかき氷のパッピンスだ。それもなかなかのボリューム。お礼を言いながら食べた。冷たい氷が脳裏を刺激する。全身の筋肉にもその刺激が伝わったようでぴりっと震えた。

 迷った。どうする? 予定どおりこの町に泊まるか。あるいはもう少しだけ進んでみようか。

 いや、まだ行ける。全身は信号待ちの車のエンジンのように僕が動き出すのを待っていた。行けるところまで行けばいい。一度通ってきた道だ。未知の道じゃない。怖くなんかない。

 

 ――留学をあきらめた僕は大学3年になった。悶々としながらハングルの授業も受けていた。週に一度の第2外国語だったし、バイトも忙しく、留学をあきらめたとたん、授業に身が入らなくなっていた。同時に将来への不安も膨らんだ。就職できるだろうか。就職できたとしても周りの人たちとうまくコミュニケーションをとりながらやっていけるだろうか。僕はケーキ工場でバイトをしていた。そこでの仕事は決められた配置場所でひたすら決められた作業をこなすことだった。単純作業だったが、機械音が常に工場内に響いていたため、無理して人と話す必要もない。そういった意味では自分の性に合う仕事だった。このままここに就職しても悪くないとさえ思っていた。

 ある日、ハングルの授業で教授が、済州島にある大学との交流が始まったという話をした。翌年からは交換留学も始まるという。済州島については地図で見たことがあったが、そこまで詳しく知らなかった。その時は、小さな島なのに大学もあるのか、という程度にしか思わなかった。済州島の大学との交流開始に伴い、学内で済州島を紹介するロビー展示があった。そこで見た1枚の写真が僕をとらえた。虹かかる漢拏山の写真だ。韓国一高い漢拏山ハルラサンをはるかに凌駕する大きな空にかかる虹。そして漢拏山のすそのに広がるのどかな緑色の大地。その写真は済州島のすべてを語っていた。翌年度の留学試験は1カ月後だった――。

 

『おう、元気か? 昨日、済州に戻ってきた。今度、メシでも行こう』

 ショートメール送付者の「ドゥヒョン先輩」という名前を見て、思わず足が止まった。あの時は学費を稼ぐために日本に一時帰国をしていたが、復学のために戻ってきたのだ。あの日僕は、宿泊施設で行われた学科MTのゲームで焼酎の一気飲みに挑み、見事に倒れた。そんな僕にドゥヒョン先輩の放った言葉は今でも脳裏に焼き付いていた。あの時の悔しさ、不甲斐なさがよみがえり、メールを打つ手が震える。

『お久しぶりです。元気です。今、済州島を歩いています。徒歩で一周するんです。あと30キロくらいでゴールの済州市に着きます。絶対達成します。今日中に』と送り、また力強く一歩を踏み出した。すぐに返信が来た。

『着いたら電話しろ』

 

 ――済州島のことを知れば知るほど思いは強くなった。日本との不思議な縁を持つ建国神話、「耽羅国たんらこく」として栄えた独自の文化、「4・3事件」という悲劇に苦しんだ歴史、漢拏山を中心とした美しき自然景観。留学に行くならここしかない。家族を説得し、留学試験を受けた。合格できれば大学4年時での留学になる。その分、卒業は1年遅れることになるし、金銭的な負担も大きくなる。だけど、このチャンスを逃したくない。このタイミングで済州島に留学できるチャンスが巡ってきたのも、もしかしたら意味があるのかもしれない。その瞬間、鈴木先生の語っていた「道」が開けていった気がした――。

 

 沈みかけた陽に雲がかかり空は灰色をしていた。時計を見ると7時を回っていた。つかめるはずもない陽に手を伸ばす。だけど大切なのは求め続けることだ。僕は、変わりたい。

 

 留学試験に合格してからはコンビニで夜勤のバイトを始めた。真夜中、眠い目をこすりながらの夜勤中、よく星空を見上げた。鼓動の彼方にあるのはいつも済州島だった。その済州島を、今、僕は必死に歩いている。済州島の大地をしっかりと踏みしめている。

 まるで夢の中を歩いているようだった。そう、僕は夢を見ていた。日本、朝鮮半島、中国……。北東アジアが生んだ桜梅桃李の文化。そんな僕らの文化を一つに結ぶ架け橋のようなものが、この済州島にあったらどんなに素晴らしいだろう。それはきっと「北東アジア平和公園」みたいな名前で、美術館、博物館、映画館、ライブハウスなんかを併設するんだ。そして、国境を越えてたくさんの芸術家や作品がやってきて、それぞれの文化が織りなす唯一無二の物語を、生命の叫びを赤裸々に披露しあう。そこで世界は一つになる。そんな拠点が、北東アジアの十字路に位置するこの島に、苦しみ続けてきたこの島に誕生したら……。

 僕という人間の存在は小さいし、人生なんてあっという間に過ぎていく。だけど、たった一つでいい。この人生の終幕に「この人生をかけてこれだけはやりきった」と、そう言える何かを残したい。そのための一歩がこの一歩なんだ。この島は苦しんできた分、それだけ多くの可能性と使命がある。僕だってそうだ。誰にも言えないような苦しみや悩みを抱えてここまでやってきた。だから今、この済州島の大地には何もかも語ってやろう。

 沈みゆく陽の残照が僕の目の前の道を力強く照らした時、僕のこれまでの人生がまるで走馬灯のように駆け巡っては、これからの僕の使命とこの島の使命が交錯し、新たな生命の誕生を予感させるがごとく、僕の感情はどこまでも高ぶった。

 

 夜11時。僕は再び出発点に戻ってきた。歩いて済州島を一周したのだ。

 全身が震えている。それは歓喜によるものなのか、疲労によるものなのかわからない。僕はすぐに電話を握った。

「ドゥヒョン先輩、やりました。5日かけて済州島を歩きました。今日は1日で60キロです。死にそうです」

「おまえはほんっとに無茶するやつだよな。で、どこなんだ? 俺がバイクで大学まで送っててやるよ。まったく、修行僧か」そう言ってドゥヒョン先輩は笑った。僕も笑った。空を見上げると、そこにあったのはあの日と同じ空だった。

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