僕と済州島の物語

2002年に済州島でホームステイ、 2005年に済州島に留学、2013年に済州島で国際結婚、2015年に済州島で長男誕生。 そんな僕と済州島の物語です。

済州島留学物語 第21話【秋2】

 長かった試験が終わり、ナオは夜の便で済州島に戻った。サチコは彼氏のところへ、僕とタクヤは田中先輩と合流し、「試験お疲れ様会」を開催することになった。翌日の午前の便で済州島に戻るつもりだ。

「お疲れー!」

 僕ら3人は、田中先輩が案内してくれたビアホールで乾杯した。ドイツビールは初めてだった。

「うまい! やっぱりソウルはいいっすね。オシャレな店は多いし、美人は多いし」

 そう言ってタクヤはサービングする女性店員をちらりと見た。

「そうか? 俺も済州島には1回だけ行ったことあるけど、新済州のあたりなんかはしゃれたバーとか結構あったぜ」

「うう、俺たち貧乏学生には金がないから無縁っすよ。いつも学食で我慢してるんです。酒だってなかなか飲めやしません。なあ」

 タクヤが僕に同意を求める。少なくともタクヤは毎日のように飲みに行っているようだったが触れないことにする。試験勉強からの解放感によるものか、初めて飲むドイツビールの魔力か、酔いはすぐに回ってきた。

「田中先輩が韓国語を勉強し始めたきっかけは何かあるんですか?」

「周りに韓国語話せる人が誰もいなかったから」

 僕の質問に田中先輩は即答した。

「俺が大学に入学したのって1999年なんだけど、あのころって今より全然、韓国のこと知られてなかったよ。俺って子どものころからずっと何かで一番になりたいって思いが強かったんだ。そんで、その行きついた先がたまたま韓国だったわけ。俺にはなんの接点もなかったけど、何より日本に一番近い国は間違いなく韓国なんだよ。地殻変動でも起こらない限りその事実だけは絶対に変わらない。なら、韓国語を話せるようになれば、きっとたくさんのチャンスがあると思った」

「そして偉大なる田中先輩様は韓国語を極められ、今や我が国を代表しているのである」

 タクヤはふざけて北朝鮮なまりの発音をする。

「こら。まだまだそんなレベルじゃないけどな。でも、こうしてここで働けるのも、『何かで一番になりたい』っていう強い思いがあったからこそなんだろうな」

「いやあ、先見の明があるというか、さすがです。英文科志望をあきらめてしかたなく韓国語専攻になった俺とは大違いです」

「タクヤって英文科志望だったんだ?」初耳だった。

「ユウゴには言ってなかったか。そうなんだよ。当時は洋楽にもかぶれててな。でも、英語の成績が致命的に悪くてさ。まあ、結果的には韓国語専攻で良かったけど。韓国でミュージシャンになるっていうビッグな夢もできたし」

「俺が4年のころにタクヤが1年だったんだよ。あのころは、髪、真っ赤だったよな」

「そうだ。そんな時期もあった。ちょうど学科の就職ガイダンスみたいなイベントがあって、大手の商社に入社を決めたばかりの田中先輩が登壇したんだ。その時に、『韓国の若者は目がイキイキしてるのに、日本の若者は目が死んでる。今、韓国語を勉強しておけば将来間違いなくチャンスがやってくる』っていう話をしていて、俺は感動したね。俺の選んだ道は間違ってなかったって」

「さっきはしかたなく韓国語専攻になったって言ってた気がするけど」

「神の思し召しかな。ブハハハッ」

 そう言ってビールを飲み干すタクヤを見ながら、僕も、自分の選んだ道は間違っていないはずだと思った。今、しっかり韓国語を学んでおけば、こんな僕にだってきっとたくさんのチャンスが巡ってくるに違いない。田中先輩は見事にそのチャンスの一つを手にしたんだ。僕も一杯目のビールを飲みほした。せっかくだから田中先輩の話をもう少し聞いてみたい。

「まあ、試験勉強で疲れてるだろうし、こんな機会もなかなかないだろうから、今日はいい店に連れてってやるよ」

 そう言って田中先輩も一杯目のビールを飲みほした。

 

 隣で女がウイスキーのオン・ザ・ロックを作っている。僕は大きなコ型のソファに腰掛けていた。

「ねえ、韓国の女ってどう思う?」

 女はそう言いながらグラスを差し出した。しかたなく僕はグラスに口をつける。強いアルコールに喉が熱くなり眉間にしわがよる。斜め前方に座っているタクヤを見るとすっかりパートナーと打ち解けたようで、ウイスキーを片手に大笑いしている。田中先輩も隣の女性と楽しそうに談笑している。あんなにきれいな彼女がいるのに大丈夫なのだろうか。

「ねえ、なんで韓国語わからない振りしてるの? 本当は上手なくせに」

 その酒やけしたようなハスキーな声が耳に障る。グラスのウイスキーを一口飲み、しかめっ面のまま言った。

「話せません」

 女はそこで軽いため息をつくと、「この人、本当に韓国語話せないみたいよ。あたしだって日本語話せないって言うのに。誰かいないのー?」とカウンターのほうに向かって声をあげた。すると、タクヤが、「おい、ユウゴ! 韓国語話せるだろ」と韓国語で言う。

「こいつはちょっと臆病者なんです。ほら、今流行りの『臆病者コプジェンイ』って曲あるでしょ? こいつのことですよ」

「おい、タクヤ。あそこにマイクあるから歌ってこいよ。よっ、未来のミュージシャン!」

 田中先輩も韓国語で盛り上げる。「よっしゃ!」タクヤは意気込んで席を立つ。

「いいね。歌って、歌って。あなたも一緒にほら」

 隣の女は無理やり僕を立たせ一緒にマイクのそばまでやってきた。

 オーディオから曲の伴奏が流れる。見知らぬほかの客たちからも拍手が起こる。アルコールのせいか呼吸が荒くなる。タクヤが冒頭を歌い始める。想像していたよりも甘いボイスだ。タクヤのパートナーの女性もタクヤの隣までやってきて腕を絡ませた。タクヤは一小節歌い終えると「さあ、交代だ」というように僕に合図した。

 こんな状況で歌えるわけないじゃないか。僕はただでさえ人前で歌うのが、というより人前に立つのが苦手なのだ。僕がマイクを握ったまま硬直していると、隣の女が僕の腕に自分の腕を絡ませながら歌い始めた。上手だ。「一緒に」と腕でしきりに促してくる。間もなくサビに入り、再びタクヤもマイクを握る。僕は、タクヤの声に隠れるように小さく声を出す。高音が出ない。隣の女がマイクのないままサポートする。僕も口を開く。ただ声は出さなかった。出なかった。田中先輩と目が合い、あわてて目を閉じた。あの日見た済州島の景観がよみがえる。そうだ、済州島を歩いている間中、唯一聞いていたのはこの曲が収録されたアルバムだったのだ。あの日、僕の命を駆け抜けた熱い感情が全身を包み込む。あの夏の乾いた済州島の風と燃えるような陽射し。1人に、なりたい。ここは、いったいどこなんだ。どうして僕はここにいるんだろう。隣の女が腕組みをしながらしきりにスキンシップしてくると、その腕を振り払ってしまいたいほどの怒りが込み上げてきた。

 

「あんまり楽しめなかったみたいだな」

 タクシーの助手席に座った田中先輩は携帯をいじりながらそう言った。隣ではタクヤが気持ち良さそうにいびきをかいている。

「ああいうお店は初めてだったので」

 韓国のタクシーの中で日本語を話すのがはばかられ思わず小声で答えた。そんな僕の不安を察したのか田中先輩は、

「僕たち日本から来たんです。うるさいかもしれませんが日本語で話しますね」と流暢な韓国語でドライバーに伝えた。

「もちろん。そりゃお客さんの自由だ。それにしても日本人なのに韓国語上手だな」

「韓国には日本語上手な韓国人がたくさんいるじゃないですか。日本人も韓国語話せるようにならなきゃダメですよ」

「面白いこと言うな。そりゃそうだ」

 そう言って2人は笑った。僕が日本語で話しやすいように気を使ってくれたのだろうけど、なんという機転の速さだろう。

「ユウゴはさ、なんていうか、もう少し自信持っていいと思うよ」

「そうありたいとは思っているんですけどなかなかうまくいかないんです。こうして韓国にいても日本人として自分はどう見られているんだろうとか、いつも周りの視線ばかりが気になります。同じ寄宿舎にいる韓国の学生から『日本人は嫌いだ』って面と向かって言われたこともありますし。大げさだとは思うんですけど、韓国人と話をするときは、自分の言動で日本のイメージが変わってしまうような気がして萎縮しちゃうんです。それに……なんだか韓国にいると、僕は日本人としてどんどん自信がなくなっていくんです」

 アルコールのせいだろうか、先ほどの2次会でのやり場のない思いが爆発したのか、珍しく僕は饒舌になっていた。

「日本人として……じゃなくてさ。ユウゴってそれ以前に、そもそも自分に自信がないんだよ。さっき、もう少し自信持っていいと思うって言ったのは、実はその意味だったんだ。自分の言動で国のイメージが変わる? 変わったっていいじゃないか。ユウゴはユウゴなんだよ。日本人なんて1億人以上いるんだ。俺たちは国を代表する政治家じゃない。自分らしく自然体でいけばいい。何も気取る必要なんてないさ。日韓関係だって見てみろ。互いの価値観がぶつかり合ってるじゃないか。そうしてぶつかり合いながら前に進んでいけばいいんだ。いや、進むしかないんだ。地理的に見ても日本と韓国が離れることは不可能だからね。宿命みたいなもんだよな。大事なことは白黒はっきりつけることじゃないと俺は思う。日韓関係に正解などないんだ。そして、ユウゴはユウゴでしかない」

 そこまで田中先輩は一気に話すと一息ついた。

「なんか後半は違う話になった気がするが……。済州島を歩いて一周したって言ってたよね? 昨日その話を聞いて、ユウゴって物静かそうだけど実は熱い思いを持ってるんだろうなって思ったんだよ。そうやって自分の道を進めばいいんだ。だから、そう自信なさそうにしてるのがもったいない。胸張って堂々としてればいいんだ。例えばこいつみたいに」

 そう言ってだらしなく口を開けて寝ているタクヤのほうを振り返った。やれやれ。いつも比較されるのはタクヤだな。そう思いながらも、もしかしたら僕がタクヤとこうして出会ったのも本当はものすごく意味のあることなのかもしれないと感じた。

「そうですよね。自信持って自分の道を進まなきゃいけないですよね」

 僕は大きく深呼吸し、座席に深く腰掛けた。自分の道という言葉に、高校時代に聞いた鈴木先生の言葉が脳裏に浮かんだ。

 

 道はね、最初からそこには存在しないんだよ。求めていくこと、そしてそこに使命を見出すこと。これが大切。

 

 秋の夜風が涼しかった。星々のように瞬く大都会のネオンを見ながら、早く済州島に帰りたいと思った。

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