僕と済州島の物語

2002年に済州島でホームステイ、 2005年に済州島に留学、2013年に済州島で国際結婚、2015年に済州島で長男誕生。 そんな僕と済州島の物語です。

済州島留学物語 第22話【秋3】

「今度うちで日本のアニメを見るんだけど一緒に見ないか」

 そう声をかけてくれたのは国際課のウニョンさんの彼氏であるスンウォン兄さんだった。当然、タクヤたちにも声をかけたのだろうと思っていたが、どうやら僕だけに声がかかったようだ。韓国語能力試験が終わって迎えた初めての週末、大学の裏手にある小さなマンションに僕は向かった。それまでは週末もずっと図書館にこもっていたため、こうして出かけるのが新鮮だった。試験勉強から解放され、これからは好きな本でも読みながら過ごそうという思いと、もっと韓国の学生たちとの交流を増やしていこうという思いが交錯していた。

 2学期が始まってからも僕の留学生活に大きな変化はなかった。

 学科では復学したドゥヒョン先輩と同じ授業がいくつかあり、たまに学食で一緒に昼食を食べたり、たばこの一服時間に付き合わされたりしていた。歩いて済州島を一周して以降、ドゥヒョン先輩との距離がぐっと縮まった気がする。孤独な学科の中で出会った頼りになる存在だ。

 寄宿舎では、相変わらずマイペースな3人が共存していた。ピアスと仲の良いタクヤがたまに部屋にやってきていたようだが、僕はたいてい図書館にいたので鉢合わせることはほとんどなかった。

 前の部屋のヨンジュンとは、済州島徒歩一周の旅の過程でいろいろ語り合えたこともあり、そのころの僕にとっては一番親しい韓国の学生だった。図書館で勉強をしていると、「息抜きしましょう」とよく休憩に誘い出してくれた。

 

「おお、はじめまして」

 スンウォン兄さんの家で僕を出迎えてくれたのは初めて見るくせ毛で小柄な男子学生だった。

「ぼくはチョ・ソンウです。お会いできてうれしいです。ずっと友だちになりたかったんです」

 かなり上手な日本語だ。僕も日本語で、「はじめまして。ユウゴです。日本語上手ですね」と笑顔で答える。

「いえいえ。あ、スンウォンさんは今、買い物に行っています。すぐ戻ります。座りましょう」

 僕らは並んで2人掛けのソファに腰掛けた。

「ぼくは獣医学科の2年生です。軍隊に行っていたので、ユウゴさんと同じ年齢だと思います。友だちになりましょう」

 そう言って笑顔で握手を求めてきた。

「そうですか。僕も同い年の韓国人の友だちがいなかったのでうれしいです。ユウゴと呼んでください」

 僕も笑顔で手を差し出す。思いがけずうれしい出会いだ。その時、玄関が開いてスンウォン兄さんが戻ってきた。

「ソンウ、仲良くなったか?」

 そう言いながらスンウォン兄さんはスーパーで買ってきたコーラのペットボトル3本とスナック菓子をソファの前のテーブルに置いた。

「はい、兄貴。ちょうど今、友だちになりましたよ」とソンウも笑顔で答える。

「ユウゴ、久しぶりだなあ。なかなか連絡できなくて悪かったね。ウニョンからもユウゴと遊んであげてっていつも言われてたんだけど、勉強が忙しそうだったからね」

「いえ、今日は誘ってくれてありがとうございます。アニメも楽しみです」

「ユウゴさん、いやユウゴ。韓国語上手ですね。あ、タメ語で話してもいいですか?」

 ソンウは韓国語でそう言いながら僕の表情をうかがう。

「もちろんです。友だちじゃないですか?」

「よし、じゃあ今からユウゴもタメ語だよ」

 それまでの僕だったらそう言われても敬語で話し続けていたと思う。だけど、もっと韓国の学生と近づくためには自分も変わらなければいけない。

 土曜日の昼下がり、こうして僕ら3人は、スンウォン兄さんのパソコンで日本のアニメの映画を見た。韓国で見る日本語のアニメは新鮮だった。画面の中で彼らの話す日本語は時空を超え響き渡った。字幕を追いながらスンウォン兄さんが質問するとソンウが的確に答える。ソンウはその映画をすでに5、6回は見たというが、子どものように物語に見入っていた。

「やっぱり日本のアニメは面白いな」

 映画が終わると、残っていたコーラを飲み干しながらスンウォン兄さんが言った。

「だから言ったじゃないですか。冒険心を刺激するんですよ。何回見ても飽きません」

「冒険心……うまいこと言うな。それだよ。日本のアニメは冒険心を刺激する」

 そんな2人のやりとりを僕は黙って聞いていた。日本のロックが好きだというピアスや、日本のアイドルのファンだというウニョンさんのことを思い出す一方、韓国ドラマから始まった日本での韓流ブームを思い起こした。同じものに感動したり影響されたりするなんて、やはり僕らは「ナニジン」である以前に同じ人間なのだ。

「ユウゴ、まだ時間あるだろう? 土曜日だし、出前でも頼んで一杯飲もう」

「さあ、今日は飲むぞ!」

 ソンウがうれしそうに日本語で雄叫びをあげた。

 

「ユウゴはさ、好きな女の子いないの?」

 焼酎に酔ったソンウが赤い顔で訊いてきた。

「ユウゴは勉強のことしか頭にないさ。毎日図書館通いなんだから。いるとすれば、カウンターの女の子だよ、きっと」

 酒に弱いスンウォン兄さんは焼酎一杯で顔が真っ赤だった。

 僕は少しむっとし「そんな理由で図書館に行ってるわけじゃありません」と言うと、「ほら、ユウゴは真面目なんだ。信用できる男だぞ」とソンウに何か目くばせした。ソンウは姿勢を正すと、日本語で口を開いた。

「ぼく、好きな女の子がいるよ。日本人の女の子」

「日本人?」驚いて聞き返した。

「うん。ユウゴの友だちのナオっていう子だよ。それで日本人のユウゴに助けてもらいたい」

 やれやれ。ナオは学科の男子学生からも大人気だっていうじゃないか。いくらなんでもハードルが高すぎる。

「恋人がいないことは確認済みだ」

 スンウォン兄さんがコップに注いだ水を飲みながら言った。

「ごく自然にウニョンに確認してもらったんだ。『なんであなたがそんなこと気にするの?』って怪しまれたけどね」

「最初、ナオと面識があるって言うからスンウォン兄貴に相談したんだけど、『同じ日本人に相談したほうがいい』って言われてね。それで、ユウゴを紹介してもらったんだ。スンウォン兄貴も、真面目なユウゴなら力になってくれるだろうって言ってくれたよ」

 そこまで興奮気味に話すと自分で焼酎を注いで一気飲みした。

「タクヤは口が軽そうだしね。それにナオとは同じ大学だから不都合もあるかなと思って」

 スンウォン兄さんはそう言いながらソンウに焼酎を注ぐ。

 なるほど。だから今日は自分だけが呼ばれたわけだ。でも、相談する相手が間違っている。だって僕は一度も女の子とつきあったことがないのだから。

「ユウゴが知っているナオのこと教えてもらえないかな? 実はまだ一度も話したことがないんだ」

「将来は観光業界志望でテコンドーを習ってる。そこまでは話しておいた」

 スンウォン兄さんはそう言うと、僕にも焼酎を注いだ。困った。僕だってナオについて知っているのはせいぜいその程度だ。

「正直、僕もそこまでナオとは親しくないんだ。親しくないというより、あまり話したことがないというか……」

「でも何か一つくらいはあるでしょ? 趣味とか好きな男のタイプとか……」

「どうかな……。僕の印象だと、ナオはかなり芯の強い人だと思う。もともと運動が苦手だったみたいだけど、それを克服するためにテコンドーも始めたって聞いたよ。留学中に苦手なものに挑戦してみたかったんだって」

 ソンウは焼酎を一気飲みすると、鼻息を荒くしながら「なんて素晴らしい女性なんだ。ますます好きになってきた」と天を仰いだ。

「どうかな? ぼくにもチャンスあるかな?」

 ソンウが焼酎で乾杯を求めながら目を輝かす。

 難しいと思う。きっとナオに関心を持つ男子学生はほかにもいるはずだ。その高い競争率を突破して、ナオの心を射止めるなど至難の業だ。正直に伝えてあきらめさせるほうがソンウのためなのかもしれない。

「それは僕にはわからないな……」

「でも友だちになることはできるでしょ?」

「うん。それなら大丈夫だよ」

「なあ、こうしてみたらどうだ。ユウゴも気になる女の子がいたらその子も呼んでダブルデートだ。済州島のどこかを一緒に観光するんだよ。それならナオも喜ぶんじゃないか」  

 スンウォン兄さんは指を鳴らしながら言った。

「おお、さすが兄貴!」ソンウはスンウォン兄さんに焼酎を注いだ。

「ユウゴ、どうだい?」

 2人して僕を見つめる。そもそも、僕にはそんな相手などいない。

「ユウゴにもいるんじゃないの? 気になるけど話しかけられないでいる韓国人の女の子が」

 いや、いない。仮にいたとしても、僕のような臆病な男には恋愛なんて無理だ。きっとそんな相手とは一緒にいるだけで僕はずっと緊張して失敗と失態を繰り返し、いずれ相手はそんな僕に失望し去っていくに違いない。

「なんで黙ってるんだよ。その顔はいるって言ってるぞ」

「いや、本当にいないんだ。考えたこともなかった。正直に言うと、僕は女の子と話すだけで緊張しちゃうんだ」

「それならちょうどいい。ぼくが助けてあげる。その苦手は克服できるよ」

 そう言ってソンウはまた焼酎を一杯飲むと、「よし、決まりだ。ユウゴも誰に声かけるか考えておいて。あとナオにも声をかけてね」と言いながらトイレに行った。勝手に決めないでくれよ、と思いながら仏頂面で水を飲んでいると、

「そんな真面目に考えなくてもいいよ。せっかく留学に来てるんだから、こういう経験も大事だ。みんなで仲良くなれればそれでいいじゃないか。ほら、韓国語の試験も終わったんだから、これからは外に出たほうがいい」とスンウォン兄さんが気を使う。

「そうですけど。ソンウがどんな人かもまだよくわかりません。何かあっても僕は責任取れません」

「責任って、やけに政治家みたいなこと言うな。そんな難しく考えることじゃない。ソンウだって大人だ。それくらいの分別はあるよ」

 トイレの扉が開きソンウがげっそりした表情で出てきた。

「兄貴。隣の部屋で少し横になってていいですか? ちょっと無理して飲みすぎました」

「おう。おまえ夜勤明けだったもんな。少し水飲んで横になって寝てろ」

 夜勤明け?

 ソンウはコップ一杯の水を飲むと「ユウゴ、ごめん。無理なお願いしちゃったね。もし嫌だったらしなくていいから」と言って隣の部屋で横になった。

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