僕と済州島の物語

2002年に済州島でホームステイ、 2005年に済州島に留学、2013年に済州島で国際結婚、2015年に済州島で長男誕生。 そんな僕と済州島の物語です。

済州島留学物語 第26話【秋7】

 案内された部屋は2階のこざっぱりした部屋だった。大きなダブルベッドが一つ、キッチンや冷蔵庫も備え付けられていた。そして何より、窓の外はオーシャンビューだった。

「ソンウがこんな素晴らしいペンションの息子だったなんてうらやましいよ」

 思わずため息が漏れた。ソンウはベッドでぐったりと横になっていた。

「大丈夫? やっぱり急に泊まることになって迷惑だったかな……?」

 ソンウは大儀そうに身体を起こした。

「いや、うれしいよ。ナオがうちのペンションに泊まってくれるなんて。ただ、これからの長い時間、ナオを退屈させないようにするにはどうしたらいいかを悩んでいたよ。泊まることなんて僕の計画にはなかったし……。もし退屈させたら逆効果だよ」

「考えすぎだよ。ナオも泊まりたいって言ってたし、退屈も何も、ここにいるだけできっと喜んでるよ」

「そうかな……。ぼくのお母さんが強引に誘ったから、しかたなく泊まりたいって言ったんじゃないよね?」

「そんなことないと思うよ。ほら、仲良くなるチャンスだよ。みんなで海でも見に行こう」

「おお、そうだ。もしかしたらもう退屈してるかもしれない。よし、海に行くぞ!」

 母親が意図してのことか、女子の部屋は同じ階ではなく、一つの上の3階だった。ナオに電話したが電話に出なかったため、2人で部屋の前までやってきた。

「女の子の部屋の前にいると、ドキドキするね」

 そう言ってソンウは心臓を押さえながらドアをノックした。

 反応がない。

「なぜ? 電話も出ない。ユウゴ、まさか2人は怒って帰っちゃったんじゃない?」

 まさか。あれだけうれしそうにしていたのだからそんなはずはない。2人で先に海に出かけてしまったのだろうか。とりあえずロビーまで降りてみた。

 奥のほうからミソの甲高い声が聞こえてきた。なんだ?

「お母さんといるみたいだ」

 ソンウの案内で声のほうに向かうと、台所で3人が何かをしていた。見るとソンウの母親が大きな魚をさばいているところだった。

「今日の夕ご飯にご馳走しようと思ってね。さばくところ見てみたいっていうから」

 母親は包丁を使って器用に魚をさばいていった。

「お母さんすごく上手です。わたし見とれてました」

 ナオがソンウに声をかけた。

「ほら、ナオさん。あなたもやってみなさい」

 母親はそう言いながらナオに包丁を渡すと、ナオの手をとりながら説明した。

 ソンウはそんな2人の様子を、不安げにそして幸せそうに見つめていた。

牛島ウドは魚がよく釣れるんですか?」

 ナオが韓国語で母親に尋ねた。

「うん。たくさん釣れるよ。良かったらやってみるかい?」

「いいんですか。やってみたいです。わたし、魚釣りやったことないんです。一度やってみたかったんです」

 そう言ってナオが目を輝かせると、ソンウは勢いよく反応した。

「よし、ぼくが教えてあげます。魚釣りしましょう。お母さん、釣り竿はどこだっけ?」

「釣り竿は庭の倉庫だよ。でも、おまえ釣りなんて」と言うと、ソンウは颯爽と庭の倉庫に向かっていた。一瞬、母親が不安そうな顔をしたようだったが、気のせいかもしれない。

 勇ましく釣り竿を構えたソンウに案内されて僕らは海に向かった。陽が暮れかけていたので、夕陽が眩しかった。ソンウに釣りは上手なのかと訊いたが、大丈夫、何とかなる、とだけ答えた。途中にあった店で餌を買った。

「ユウゴさんは魚釣りしますか? わたし、実は魚がすごく苦手なんです」

「そうだったんですか? 僕も魚釣りはしたことありません」

 ミソとの会話はそのまま途切れた。

「よし、ここにしましょう。ここはたくさん釣れますよ」

 ソンウはそう言ってから、ナオのために餌を針に付けて海の中に投げ入れた。自信ありげにナオに説明しているが、餌を取り付ける時からソンウの手が震えていたのを僕は見逃さなかった。ナオの前でよほど緊張しているのだろうか。

 なかなか魚は釣れなかった。いつの間にか夕陽は沈み辺りは暗くなり始めた。途中、通りかかったおじさんに向こうのほうが釣れると声をかけられ場所を移動した。

「難しいんですね。やっぱりわたしが初心者だからお魚も警戒してるのかもしれないですね」

 ナオはそう言ってため息をついた。

「それは関係ないです。ナオさんの前で魚のほうが緊張してるんですよ」

 魚が緊張? 僕とミソは顔を合わせて微笑んだ。

「でもおかしいですね。ぼくが一度やってみます」ソンウはナオから竿を受け取った。するとすぐに魚が食いついた。大きそうだ。ソンウの身体が横に揺れた。

「これは大きいよ」

 ソンウが力強く引き上げると、活きのいい魚が躍るようにして海上から姿を現し、僕らの立つすぐそばに落下した。「うわ!」思わず歓声のような悲鳴が響いた。捕らえられた魚は抵抗するように激しく全身を揺らしていた。ミソがきゃっと声を上げながら僕の後ろのほうに駆けていった。僕も無意識に後ずさった。海水が飛び散る。

「大丈夫です」

 ソンウが針を外しにかかった。ナオが不安げにそんなソンウを見守る。ソンウが前のめりになって暴れる魚をつかむと、魚が跳ね上がって尾びれでソンウの頬を打った。「ぎゃっ!」ソンウも魚のように跳ね上がり尻もちをついた。

「ソンウさん大丈夫ですか?」

「大丈夫です。ちょっとびっくりしました」

 そうして怯えるように魚に手を伸ばした。しかし、先ほどの手痛い経験のためか、うまくつかめない。魚は苦しそうに暴れている。

「おい、何してるんだ」

 僕らのすぐ近くで魚釣りをしていたおじさんが近づいてきた。

「なんだ、情けないな」

 おじさんはソンウの返事を待たずに慣れた手つきで針を外し血抜きまでしてくれた。ソンウはばつが悪そうに「魚釣りは久しぶりにやったんです。昔は上手でしたよ」とナオのほうを向いて笑った。

 僕ら4人はそのまま言葉少なくペンションに戻り、庭に出したテーブルに腰掛けて夜空の下で夕食を食べた。静かに聞こえてくる波の音が心地よかった。

 ソンウはナオが退屈しないよう終始気にかけているようで、ナオの飲み物や食事がなくなれば継ぎ足し、ナオが関心を持っている済州島の観光地のことを熱心に話した。会話の主導権はホストであるソンウが握っていて、僕らはソンウの話に相づちを打ち、一緒に笑った。ソンウとナオがテコンドーの話題で盛り上がっている時、僕の前に座っていたミソが、メモ書きを差し出した。内容を確認する前から不思議と胸が高鳴った。

『ソンウさんはナオさんのこと好き?』

 メモ書きには日本語でそう書いてあった。

 ミソのほうを見ると、魚が苦手だと話していたとおり、魚料理にはほとんど手をつけていなかった。僕はもう一度メモ書きに目をやり、何も知らないというようにただ首を傾けた。ミソは何かを悟ったように微笑みながらうなずいた。

 一通り食事を終えると海のほうからやってくる風が肌寒く感じた。それまで僕らの周りを飛び跳ねていたベックもソンウの足元で丸まっている。

「お腹いっぱいです。お皿洗い手伝いますね」

 ナオがそう言ってテーブルの上のものを片付け始めると、「今日はありがとうございました。そのままでいいのでお部屋で休んでください」とソンウが制した。

「このあとは部屋でまた飲みますか?」

 ミソがテーブルのお皿を積み上げながらソンウに訊いた。9時過ぎだった。

「みんな疲れてるでしょう? 今日は早く休みましょう。必要なものがあったら言ってください」とソンウはベックの頭をなでながら言った。

 僕らは食器を台所のほうまで運び、ソンウの母親にお礼を言って部屋に戻った。ソンウはかなり疲れて見えた。部屋に戻るとしばらくトイレから出てこなかった。

「ダメだ。お腹が痛い。ずっと緊張してたせいだよ」

 先ほどまでの元気とは打って変わっての弱弱しい声だ。いくらナオと仲良くなるためとはいえ、1日だいぶ無理をしていたのだろう。魚釣りにしても本当は苦手なのにナオの前で強がっていたとしか思えない。

 僕も大きくため息をつきながらベッドに倒れこんだ。疲れた。僕もずっと緊張していたようだ。

 ポケットの中からミソが書いたメモ書きを出した。『ソンウさんはナオさんのこと好き?』近くにいてミソがそう感じるくらいなのだから、ナオもソンウが自分に好意を抱いているだろうことには気づいているかもしれない。

 ミソはどうだろう。ミソは僕のことをどう思っているだろう。朝から一緒にいたにも関わらず、ほとんど会話らしい会話はできなかった。僕がこの旅行に声をかけたにも関わらず、僕のほうがずっと避けていた。

「ユウゴ、本当はぼくだってこのあとナオたちと一緒に部屋で飲みたかったよ。でも今日初めて会ったばかりだし、泊まることも急に決まったから、頑張って我慢したよ。ねえ、男らしいでしょ?」という声がトイレの中から響いてきた。ソンウから言われた「ユウゴは男らしくない」という言葉を思い出し、「そうだね。男らしいよ」とぶっきらぼうに言って、僕はそのまま眠っている振りをしようとした。しかし、そんな芝居もつかの間。青い顔をしたソンウがトイレから出てくるや、今度は赤い顔をした僕が腹を押さえながらトイレに駆け込む結果になった。そしてこの軟弱な男2人は、交互にトイレに行っては、うなりながら床に就いた。

 

 翌日は朝9時過ぎの船で牛島を出発した。昼過ぎからソンウにバイトが入っていたのだ。

 ソンウはまだ腹痛が続いているのか、出発してすぐに船内のトイレに駆け込んだ。ナオとミソはそれぞれデッキの離れた場所で写真を撮っていた。僕もデジカメを取り出し少しずつ小さくなっていく牛島にカメラを向けていると、

「ユウゴさん、撮ってあげましょうか?」

 ミソが微笑みながらこちらに向かってきていた。

「ありがとうございます」

 僕はデジカメをミソに差し出した。

「表情が硬いですよ、ユウゴさん。笑ってください。あともう少し右にずれてください」

 僕は指示されるままに表情を作りポーズを取った。

「いいですね」

 良い写真が撮れたから確認してみてと言われ僕はミソの隣でデジカメの小さな画面に見入った。ミソの肩に自分の身体が触れ震えた。そんな動揺を隠すように僕はとっさに言った。

「そういえば、日本の留学準備はどうですか?」

「そうだ。試験が来週なんです。でも筆記試験はなくて面接試験だけです。日本語でうまく話せるか心配です」

「今も日本語で上手に話してるじゃないですか。大丈夫ですよ」

「でも日本語の面接なんてしたことありません」

 そう言って大きくため息をついた。

「わたし、沖縄の大学に希望出したんです。沖縄と済州って似てますよね。だから沖縄で観光の勉強すれば役に立つと思って……。わたし、将来は済州島の観光のために働きたいんです」

「そうだったんですか。僕は高校生のころに修学旅行で沖縄に行ったんですけど、沖縄と済州って本当によく似てます。観光経営が専攻ならミソさんにはぴったりですね」

「はい、絶対に行きたいです。わたしは絶対に成功します」

 そのミソの力強い一言が胸に響いた。

「あの……もし良かったら面接試験の前に一度、練習してあげましょうか。僕が面接官の役をやります」

「本当ですか? やった」

 その時、ソンウがお腹を押さえながらデッキに出てきた。そして僕とミソが向かい合って話している姿を確認すると、微笑みながら親指を立て、ナオのもとへ向かった。

 僕だってこれくらいのことはできるさ。揺れる僕の心境を映し出すように、船はゆらりと傾きながら少しずつ前へ前へと舵を取った。

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