僕と済州島の物語

2002年に済州島でホームステイ、 2005年に済州島に留学、2013年に済州島で国際結婚、2015年に済州島で長男誕生。 そんな僕と済州島の物語です。

済州島留学物語 第27話【秋8】

 月が変わり迎えた11月最初の朝、少し肌寒さを感じた。

 冬が近づいている。

 僕は薄手のジャンパーを羽織って急いで寄宿舎を出た。

 大事な1日が始まる。韓国語能力試験の合格発表日であり、またミソの面接試験の予行練習を行う日でもあった。

 午前中に社会学の授業を終えて学生会館前に向かった。面接の予行練習前にミソと昼食を食べる約束をしていたのだ。少し早めに到着してしまったため、僕はカバンから本を取り出しページをめくった。ほとんど頭に入ってこなかった。

 間もなく黒のセーターに白いショールを羽織ったミソが微笑みながらこちらにやってきた。僕が軽く頭を下げてあいさつをすると、

「変ですよ、そんなことしたら。わたしが年下ですよ」

「おかしいですか……? じゃあどうしたらいいですか?」

「ただ手を振ってあいさつすればいいですよ。あと、敬語はこれから禁止です」

 そう言って人差し指を立てた。

 僕らは向かい合ってチャンポンを食べた。

 韓国に来て嫌なことをされた経験だとか日本と韓国の違うところなどをミソは訊いてきた。このあと僕が面接官になって面接の練習をしなければならないにも関わらず、まるで自分が面接試験を受けているようだった。

「日本人は『自分は自分で他人は他人』っていう感じでバラバラに生きていると思う」

 僕はそう言ってカバンからノートを取り出しいくつかの独立した円を描いた。

「だけど韓国人はみんなつながってる。こんなふうに」

 そして今度は互いに交差している円を描いた。

「韓国ではメールとか電話で『今、何してる?』ってよく訊くでしょ? でも日本じゃあまりない。よっぽど仲のいい子に対してじゃないと誤解されるかも。日本は人間関係が薄いのかな。韓国は濃くて」

 緊張を隠すように僕は話し続けた。

「済州島の観光はたくさんしました?」

 ミソの問いかけに僕はカバンの中から済州島の地図を取り出した。

「いつも地図を持ち歩いているんですか?」

「うん。済州島を歩いて一周してから済州島のことが好きになっちゃって……」

「ユウゴさん、変わってますね」

 広げた地図を見ながら、「ここも行った」「あそこも行った」と話しているうちに、2人の顔が近づいた。僕は妙な不安の中、後ろに身を引いた。

「そうだ。面接試験の練習のお礼に、今度どこか済州島の観光地を案内します」

 ミソが微笑んだ。

 思い付きで言ったのかもしれないが、戸惑った。いつか彼氏ができたら一緒に観光したいとナオに話していたのを思い出したからだ。

「……うん。考えておくよ」

 

 食事を終えた僕らは実際の面接会場になる教育館の空き教室で練習を始めた。

 改まって向かい合って座ると僕のほうが緊張してしまい、必要かどうかもわからないが、ドアの開け方とお辞儀の仕方から練習することにした。一応、事前に面接試験対策については勉強してきていたので、そのとおりに説明した。

 僕の緊張も少しほぐれてくると、質問対策を始めた。

「わたしの名前はキム・ミソです。ミソと言うと、日本語では味噌汁を思い浮かべるかもしれません。しかし、韓国語でミソと言うのは、『微笑み』という意味です。わたしはその名前のとおり、どんなときも笑顔を大切に生きてきました」

 自己紹介をするように促すと、彼女は覚えてきたことを続けてすらすらと話し始めた。それは僕のアドバイスなど必要ないほどに完璧で、面接官役の自分がたじろぐほどだった。今、自分が面接官役としてこの場に座っているのが場違いのような気分になってきては、彼女と視線を合わすことすらできず、彼女の語る言葉は遠くに抜けていった。まずい。

「では、日本語を勉強することになったきっかけはなんですか?」

 気を取り直して質問する。思えば僕はミソについて知らないことがまだたくさんある。

「はい。わたしは子どものころから漫画が好きでよく読んでいたんですが、定期的に発行される漫画雑誌に日本の漫画が連載されていたんです。もちろん翻訳されたものですが。それが面白くて日本語の勉強を始めました。いつか日本語で読みたいと思ったんです」

「そうですか。どんな漫画が面白かったですか?」

「やっぱり女の子が読む少女漫画です。あと日本の音楽も好きです」

「そうですか。どんな音楽ですか?」自分で質問しておきながら、もはや面接の練習なのか興味本位の質問なのかわからなくなってきた。

「中学生のころは日本のロックバンドの音楽をよく聴いていました」

「日本のロックバンド? 昔、僕も好きでした」

「そうなんですか? でも昔? 今は聴かないんですか?」

「うん……音楽自体あまり聴かなくなってしまったんだ」と話してから、今は面接試験の予行練習中だということを思い出した。

「ごめんんさい。話がそれてしまいそうなので、面接の質問に戻しますね」

 そして姿勢を正したが、次の質問が思い浮かばなくなってしまった。緊張した面持ちのミソと目が合い思わず顔が赤くなる。

「知っている日本のことわざはありますか?」

「ことわざ……」

 頭をひねるミソ。質問しておきながら愚問だと感じたが、平静を装い「訊かれるかもしれないから」と一言添えた。

「備えあれば患いなし」

 窮地から一発逆転の矢を放ったように真剣に答えるミソの顔を見て思わず笑みがこぼれた。備えあれば患いなし。そう、だからこうして僕らは面接試験の練習をしているんだ。

 そうして1時間近く面接の練習をして別れた。面接練習のお礼に済州島の観光地を案内したい、というミソの誘いが、行き場を探すように頭の中をずっと漂っていた。

 

 寄宿舎への帰り道、タクヤからメールが来た。

『俺たちは勝った』

 俺たちは勝った……?

『どういう意味?』

 すぐに電話が来た。

「その言葉のとおりだ。俺たちは勝ったぜ」

「まさか、合格?」

「そう」

「6級?」

「そのとおり!」

 信じられなかった。

「今、ネットで確認できるぜ。番号確認したら俺とユウゴとサチコは合格だった。だけどナオが6級ダメだったんだ……。ま、残念だけどしょうがねえな」

 急いで寄宿舎に戻った。そしてパソコンを立ち上げ確認した。

 本当だ。

 震える手で机の引き出しから便箋を出しペンを執った。

 

拝啓

 

 晩秋の候、朝夕めっきり涼しくなってまいりましたが、鈴木先生におかれましてはお変わりなくお過ごしでしょうか。

 留学前にはご丁寧にお手紙を頂戴しありがとうございました。

 不安と期待の入り混じった思いの中で始まった韓国留学ですが、先生からのお手紙を励みに元気に過ごしております。

 早いものでここに来て8カ月が経ち、帰国まで2カ月あまりを残すのみとなりました。内気で何事にも消極的だった僕が、自分の世界を飛び立ち、異国の地で生きていること自体が大変不思議で奇跡のように感じることがあります。

 「本は未知の世界への旅」。あの日、先生が図書委員のメンバーに向けてくださったメッセージは僕の心の奥深くに響き、臆病だった僕が未知の世界への扉を開くきっかけとなりました。心から感謝しております。

 僕は僕らしくこの地で使命の道を求めていこうと思います。僕だからこそできること、僕にしかできないこと、その道を自分の力で切り開いてまいります。

 このたび、この留学での最大の目標として掲げた韓国語能力試験の最難関にも合格できました。使命の道を求め続けたことが大きな原動力になったように思います。

 これから本格的な冬が始まります。

 鈴木先生、どうかお風邪など召されぬよう、ご自愛ください。日本で再会できる日を楽しみにしております。

敬具

 

 そこまで一気に書いて外に出た。

 寄宿舎の裏手の木々は紅葉が始まっていた。

 空に手を掲げ、目標を達成した喜びをかみしめた。そして大きく深呼吸をしながら瞳を閉じると「わたしは絶対に成功します」と力強く語ったミソの顔が思い浮かんだ。

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