僕と済州島の物語

2002年に済州島でホームステイ、 2005年に済州島に留学、2013年に済州島で国際結婚、2015年に済州島で長男誕生。 そんな僕と済州島の物語です。

済州島留学物語 第28話【冬1】

「国際課主催のイベント……?」

 ウニョンさんから手渡された案内を一目見て僕らは顔を上げた。僕、サチコ、タクヤ、ナオの4人は国際課の応接室にいた。

「そう。国際課主催で、『外国文化交流イベント』を行います。留学生が中心になって、自分の国を紹介するプレゼンやスピーチをするの。各グループの発表時間は20分ね」

「ちょっと待って。これって留学生だけが参加するんですか?」

 タクヤが頭をかく。

「発表するのは留学生だけど、教授も一般学生も参加するよ」

「じゃあ、結構な人数になるってことね……」

「うん。だから場所は教室じゃなくてイベント用のホールで行う予定なの。一応、食事もお酒も出る」

「お、酒もか!」

 タクヤがにやけると、「なんか結婚式みたいな雰囲気になりそうですね」とナオも微笑む。

「わたしは日本の結婚式に行ったことがないからよくわからないけど……。とにかく、みんなが食事をしながら楽しめるような雰囲気にしようと思うの。去年もこのイベントはあったんだけど、堅苦しくてみんな退屈してたみたい。それで今年から雰囲気を刷新したのよ」

「なるほど。じゃあ、発表はなんでもあり?」

「さっきも話したけど、発表のテーマは自分の国の紹介だからね。それにタクヤ、あんたは発表が終わるまで会場ではお酒禁止よ」

「ウニョン姉さん、ひどいなあ。じゃあ日本グループはトップバッターでお願いします」

「オッケー」

「ちょっと待ってよ。トップバッターってめちゃめちゃ緊張するじゃん」

 こうして僕ら日本グループの発表は一番目に決まってしまった。

「あとこれは一つのアイデアだけど、例えば日本と韓国の文化の違い……うん、映画とかアニメとか音楽とか? について発表するとかさ、あまり堅すぎるテーマじゃないほうがみんな興味を持つかもしれないね。日本の伝統衣装を着て発表するとかも面白いかも」

「音楽いいね。よし、日本グループのテーマは日韓の音楽界比較で行こうぜ。ヴィジュアル系ロックバンドのコスプレなんかしちゃってさ」

「ちょっと。タクヤのせいでトップバッターになったんだから、テーマはうちら3人に決めさせてよ。いいでしょ?」

 サチコが僕とナオに同意を求める。

「時間はまだあるから、みんなで仲良く話し合ってね。あと発表は韓国語だから」

 発表は2週間後だった。

 

 ウニョンさんと別れると僕ら4人はそのまま学内の芝生の広場で打ち合わせをすることにした。のどかで天気の良い日だった。

「ねえ、テーマを決める前に、まず役割だけ先に決めない?」

「役割?」

「うん。うちら4人だから資料作り担当2人、発表担当2人でどう?」

「いや、俺は先にテーマを決めたほうがいいと思うぜ。テーマがわからないと役割も何も判断できないからな……」

「どうせ発表なんてみんな嫌なんじゃないの? だったら先に役割決めてからでもいいと思うんだけど。テーマはすぐに決まりそうもないし……」

 サチコとタクヤがそんな話をしている間、僕とナオは黙って耳を澄ましていた。

「あの、わたし発表やってもいいですよ」

「え、ナオほんとに?」

「わたし、今回、6級もダメでしたし、もっと上を目指すためにはチャレンジしてみたいです」

 そう言ってナオは意気込んだ。タクヤが、おおと言いながら拍手をする。

「ナオ、あんた本当にいい子だねえ。もう抱きしめたくなってくるわ」

「おい、サチコ。おばちゃんみたいになってるぞ」

「こら、おばちゃん言うな。じゃ、ナオがそう来るなら、あたしも発表頑張るわ」

 ナオがうれしそうに拍手をし、担当はあっという間に決まった。タクヤと僕が資料作り担当だ。

「ユウゴもそれでいいでしょ?」

「もちろん。僕は人前で話すのが苦手だからそのほうがいい」

「ユウゴはシャイだからね」

 テーマについては、各自アイデアを持ち寄り、後日改めて決めることにした。

 

 その日寄宿舎に戻ると、ソンウから相談があるという連絡をもらった。

「これは重要な相談だから人がいないところに行こう」

 夜の8時過ぎだったが、周囲を警戒するソンウに案内され、適当に空いている教室に入った。真っ暗で人の気配のない教室は少し怖かった。

「実は、ナオのことなんだけど……」

 そんなことだろうと思っていたが案の定そうだった。

「これからどうすればいいのかわからないんだ」

牛島ウドに行ってから一回食事に行ったんだよね?」

「うん。牛島で撮った写真を現像したから渡したいって話して、学生会館で一緒に昼ご飯を食べたよ」

「どんな話をしたの?」

「いろいろしたよ。牛島の話だとか大学の授業の話だとか。ナオも自分のことを少し話してくれたんだけど……」

「まさか、恋人がいた……?」

「違うよ。なんかナオの話を聞いていると自分に自信がなくなってくるよ。ナオは高校生の時にオーストラリアにいたから英語はできるでしょ? それで今はここで韓国語を勉強している。そして今度は中国にも短期留学を考えてるんだって。将来は観光の仕事をしたいから、そのためには英語、韓国語、中国語をマスターしなきゃいけないんだって話してくれたよ。牛島みたいな小さな島で育ったぼくとは違いすぎる。それに圧倒されてぼくは自分のことはほとんど話せなかったよ」

 そう言ってため息をつきながら首を横に振った。あの日、暗記してきた牛島の地理と歴史を日本語で懸命に説明してくれたソンウの横顔が思い浮かぶ。

「でもそうやって悩んでるってことはナオに対する思いは変わらないんだね?」

「もちろん。ナオと一緒にいるとどんどん好きになっていくよ。だけど、ぼくはどんどん自信がなくなっていく……」

「焦らなくてもいいんじゃない?」

「焦るよ! だってあと2カ月くらいでナオは帰国しちゃうでしょ? そしたら今度はいつ会えるかわからない。いつチャンスが来るかわからない。だけど、もし今、告白して失敗したら、残りの時間、ナオとは気まずい関係になるかもしれない。ああ、どうしたらいいんだ!」

「うん。だから、焦って告白しなくてもいいんじゃないかなって思うんだ。ナオが済州島にいる間に友だちとして仲良くなっておけば、いつかそういうチャンスが来るかもしれないじゃないか」

「いつか? ユウゴはいつもそうだよね。待ってればチャンスが来ると思ってる。だけど、現実はそうじゃないよ。もっと積極的に男らしく……」

「ちょっと待ってよ。なんで僕の話になるんだよ」

「だってユウゴの意見は男らしくないから……」

「じゃあなんで僕に相談するんだよ。それならもっと男らしいヒョンたちに相談すればいいじゃないか」

 僕はそう言ったまま黙り込んだ。

「違う。ごめん。ぼくが言いすぎた。ユウゴにはユウゴの考え方があるもんね。ただぼくにはこういう話ができる日本人の友だちがユウゴしかいないんだ。だから相談してるんだよ」

 ソンウはそう話しながら少し涙ぐんだ。今、悩んでいて辛いのはソンウじゃないか。なぜ、僕は感情的になってるんだろう。

「ごめん。僕も感情的になってたみたい……。もし、良かったら少し飲まない?」

 

 寄宿舎の裏手にある小さな商店で缶ビールを買い、近くのベンチに並んで座った。空気が澄んでいて夜空の星々が見渡せた。外の凛とした空気のような冷たい息が漏れる。

「ねえ、ソンウ。尹東柱ユンドンジュの詩の中に《星をうたう心で》っていう一節があるの知ってる?」

「星をうたう心……。ああ、もちろん。ユウゴ、よく知ってるね。日本語の翻訳もそのままだね」

「その《星をうたう心》ってどういう心なのかな……?」

「尹東柱はキリスト教を信仰していたんだよ。だから宗教的な意味もあると思う。神様を思う心とかかな。ユウゴはどう思ってるの?」

「ちょうど今、星を見ながらそれを考えてたんだよ。人が夜空を見上げるとき、はるか彼方の星々の存在に気づくときって何か悩みがあるときだと思うんだ。そうじゃないと意識して夜空を見上げることもないし、夜空を見上げたって星の存在にすら気づかないんじゃないかな。尹東柱はきっと悩みや苦しみを抱えながらも、それさえもうたえるような大きな心の持ち主だったんだと思う」

「それってぼくを励ましてるの?」

「僕にも悩みがあるってことだよ」

「そうだ。ミソとはあれからどうなったんだよ」

 僕は一口ビールを飲みこんだ。

「僕もあのあとは1回だけ会ったよ。留学の面接試験の練習をしてあげたんだけど、お礼に済州島の観光案内してくれるって言われてる。だけどどうしようかなって思って……」

「観光案内してくれる? いやあ、それはきっとユウゴのことが好きなんだよ。そうじゃないと誘わないよ」

「そんなことないと思う。彼女は観光経営専攻で、将来は済州島の観光のために働きたがってるんだよ。日本人の僕を観光案内したいというのは自分のためでもある」

「ちょっと待って。今、悩んでいるのは一緒に観光に行くかどうか? それとも彼女に告白するかどうか?」

「告白? 僕にはまだそういう感情はないよ。前も話したけど……」

「じゃあ、一緒に観光に行くかどうかを悩んでる? そんなの悩む必要ないよ。行けばいいんだよ」

 ビールを飲むために頭を上に傾けると、夜空の星々と目が合った。僕は星をうたえているだろうか。

「誰にも相談する気はなかったけど……。ソンウも悩みを話してくれてるから話すよ。実は、まだ僕にはそこまで強い感情はないけど、ミソのことを知れば知るほど本当に好きになってしまいそうな気がするんだ。だけど、今さら好きになったところで、僕はもうすぐ日本に帰国しなきゃいけない。だったら近づかないほうがいいように思う」

「おお、ついにユウゴが本当のことを話してくれたね。うれしいよ。乾杯しよう」

 僕らは夜空の下で乾杯をした。缶と缶の触れ合う鈍い音がすると、「でもさ」と言ってソンウが言った。

「あとで後悔したらダメだよ。人生、何が起こるかわからないよ」

「そうだよね」

 僕らはしばらく無言でビールを飲んだ。

「ぼくのお父さんと妹は交通事故で死んだよ。ぼくが小学生のころ。お父さんの故郷はソウルで、ぼくが小さいころは家族みんなでソウルに住んでた。お父さんもソウルの大きな会社で働いていたよ。だけど牛島出身のぼくのお母さんはソウルで暮らすのが大変だったみたいで、お父さんがソウルの会社を辞めてみんなで牛島に引っ越したんだ。そして会社の退職金で牛島にペンションを建てた」

「そんなことがあったんだね」

「うん。だけど、お父さんはすぐに交通事故で死んじゃった。妹と一緒に」

 ソンウは残っていた缶ビールを飲み干し、2本目の缶ビールを開けた。

「ぼくも最近、将来のことを考えると、お父さんのことを思い出すよ。お父さんは牛島でやりたいことがたくさんあったと思うけど、突然死んじゃったんだよ。ぼくにだっていつ同じことが起こるかわからない」

 僕も2本目の缶ビールを開け、ソンウと乾杯した。

「ぼくにはやりたいことが2つあるよ。1つは獣医になること。そしてもう1つはお父さんの作ったペンションを継いでもっと大きくすること。ぼくは欲張りだからこの2つを全部やりたい」

「獣医をやりながらペンションを経営するの?」

「うん。ペンションの中に動物病院の診察室を作って、ペットと安心して楽しめるペンションにするんだ。牛島は動物たちが遊ぶには最高の島だからね。たくさんの観光客とペットに来てもらいたいよ」

 熱く夢を語るソンウを見ながら、これはソンウにしか歩けないソンウだけの道だと思った。誰にも歩けない、ソンウだけの道。

「さっきさ、ナオに圧倒されて自分のことを話せなかったって言ってたけど、ソンウはもっと自分に自信持っていいと思うよ」

 まるで自分自身に語りかけるように僕はソンウを励ました。

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